東国政権〜鎌倉幕府を作った4カ国
決して全国政権ではありません。
あくまでも「東国政権」です。
では東国とはどこまでか?
それは「関東地方」
それも今の関東ではありません。
当時の国名で、駿河国、相模国、伊豆国、武蔵国のたった4カ国です。
現在の県でいいますと、静岡県東部から神奈川、東京、埼玉県です。
この4カ国の武士たちは、東海道の文化・政治・経済圏でつながっていて、『曽我物語』によると、普段から狩りや武芸で交流をしていました。
信仰の対象も伊豆山権現、箱根権現で共通していました。
鎌倉幕府の将軍もこの2つの権現を信仰の対象としています。
当然、家同士の血縁関係も強かったのです。
この4カ国の武士達が中心となって作ったのが、鎌倉幕府だったのです。
幕府の重要なポストについているのは、ほぼここの武士達です。
それ以外の武士たちは、大きな力を持っていても幕府の中枢に入る事はありませんでした。
下野国(栃木県)の小山氏。
上総、下総、安房国(千葉県)の千葉氏。
上総国(千葉県中部)上総氏。
これらの氏族が住んでいる地域は、間に利根川のような大きな川が何本も流れていて、文化・政治・経済圏としては4カ国とは繋がりは薄かったのです。
それ故に、幕府勢力からは目の敵にされ、上総広常などは、誅殺されていまし、同じ源氏の志田氏、佐竹氏、武田氏も弾圧を加えられています。
源頼朝存命の頃は、全国を統治するほどの力はなかったのですが、承久の乱や蒙古襲来で全国政権的なものになります。
この4カ国の文化圏の人々が、鎌倉時代の日本を支配したというと語弊がありますが、そういった面があった事は無視できない事だと思います。