安芸国にみる、東国武士達の西国への流入
承久の乱後、後鳥羽方の所領、約3000カ所も没収され、戦功のあった武士達が、その土地に新たに地頭として任命された。
時代は遡りますが、源平合戦後に、平家方の所領も、約500カ所没収され、源氏に味方した武士達にその土地が与えられた。
この2つは、パターンとしては同じです。
没収されたこれらの土地は、西国が多く、東国の武士達に与えられることになります。
これによって東国の武士達の、西国への流入が、加速した時代でもありました。
相模国土肥氏は、土肥郷や早川荘を領有していたが、源平合戦後に安芸国沼田荘(ぬたしょう)を与えられる。その時、小早川氏を名乗っています。
承久の乱後に、駿河の吉川氏、武蔵の熊谷氏、相模の毛利氏など、安芸には沢山の東国武士が流入しています。
戦国時代の毛利氏に詳しい方は、吉川、小早川、熊谷など、馴染みのある名前が多いと思います。
この時代に彼らは東国から新しい土地を与えられた武士達でした。