地方の領主の不安。そして地方政権へ
地方の在地領主・武士たちは、中央政府から派遣されてくる官僚たちを警戒していました。
それ以外の警戒すべき者たちがいました。
それは自分たちと同じ在地領主・武士たちだったのです。
いつなん時、自分たちの土地(荘園)を犯してくるか、分からなかったからです。
京という中央には確固とした政権がありますが、例えば関東のような地方には、まともな機構があったとは思いづらいです。
例えば、目代というのがあります。
本来、国には国衙、、、つまり今でいう県庁があります。
この国司は、その国に行って政務をとることが本来あるべき姿でした。
この原則は平安中期以降、崩れます。
この国司たちが、現地に赴かず、自分の腹心を送り込み、代わりに政務を取らせて、あがりだけを頂く。この腹心が「目代」です。
目代たちも、上司にいい顔をしたいわけですから、税の徴収に手心を加えるわけもなく、むしろ搾り取ろうとしていたでしょう。
そして、地方では同じ在地領主同士での争いが止むことはなかったでしょう。
頼れるのは自分だけ。自ら武装して、仲間を集めて土地を守ります。
自力救済です。
ここから武士が生まれたという見方もあります。
とにかく、こういった地方の人々の土地に対する不安が、自分たちのための政権づくり、東国の鎌倉幕府のようなものができる原動力であったようです。