古代日本の感染症は仏教がもたらした?
現在、日本は新型コロナウイルス(COVIDー19)に悩まされ続けている。
この状況は一体いつになったら収まるのか?
古代日本も感染症に苦しんだ時代ともいえる。
この時代にはウイルスの存在も科学的見解も、ましてワクチンなどない時代である。
古代日本は大陸の中国や朝鮮の国々と本格的に交流を始める。その中で沢山の渡来技術や文化が流れ込んできた。その中でも重要なものの中に「仏教」がある。
継体天皇期に司馬達等が大和国高市郡坂田原に草堂を結んだ話や、欽明天皇期に百済の聖明王から仏像や経巻を送ってもらった話は有名である。
時代は下り、蘇我馬子と物部守屋の「崇仏論争」に仏教と感染症についての話がある。
物部守屋は中臣勝海とともに、敏達天皇に奏上した「最近の疫病の流行は蘇我氏が仏法を信仰してる為です」
守屋が寺の塔を切り倒して、仏像・仏殿を焼き、残りを難波の堀江に捨てた。そして尼に鞭打ちをした。
敏達天皇は馬子だけに崇仏を許して、尼を返し、他の人の信仰を禁じたということがあった。
蘇我氏は渡来人説もある氏族で、もちろん大陸との交流を積極的に行なっていた国際派である。馬や文字、鉄など当時最先端の技術を持っていたとされ、その一つ仏教についても推進派であった。
そして馬子の盟友・厩戸皇子(聖徳太子)も天然痘で亡くなったとされている。
大陸の病原菌が仏教など大陸の技術、もっと言えば人とともに持ち込まれたと思っている。物部守屋の言うことは一理も二理もあったのではないか。。。
律令国家が完成し、中央集権化が一気に進んで、地方のものや人が都市に集中した。大陸との交流も相変わらず頻繁であった。つまり「密」で「移動が多い」のは感染症が蔓延る最大の原因である。
実際この時代、天然痘が大流行した。735〜739年(天平7〜10)で、当時の人口の3割、100~150万人が死亡したといわれる。
当時の政権担当者の藤原四子は全員死亡し、当時の公卿(今でいう閣僚)の8人うち5人が亡くなった。
この感染は最初、735年に太宰府管内の西海道諸国(九州)で大流行し、山陰山陽を東上し京都に辿り着き、新田部親王や舎人親王、藤原不比等の夫人で聖武天皇の外祖母・賀茂比売(かもひめ)も無くなっている。
感染源は一体何だったのか?
①734年11月に帰国した遣唐使・多治比広成の一行から(吉備真備・玄昉もいた)
②同じ年12月に来日した新羅使の金相貞の一行から
が考えられる。
実際に流行していた737年に帰国した遣新羅使の大使・阿倍継麻呂が対馬で死去し、副使・大伴三中(みなか)も病気で入京できなかった。
仏教をもたらした、大陸の文化。おそらく極東の日本にとって沢山の利益ももたらしたが、物部守屋の言う通り病原菌をもたらした。