こだわり歴史塾

私が調べた人物の歴史を中心に、歴史の事を書いていきます。

亀の前事件

亀の前という女性は、良橋太郎入道という者の娘で、頼朝にとって流人時代からの愛人でした。

 

亀の前はどういう女性かというと、「顔貌の濃まやかなるのみにあらず、心操、ことに柔和なり」と記されています。

つまり顔は美しく、性格はとても穏やかな女性だったようです。

 

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頼朝を取り巻く女達

草深い坂東で生活することになった源頼朝ですが、もともとは京育ちで源氏の御曹司、女性にモテたのではないかと想像します。

今回は北条政子は除いて、頼朝と関係があった、もしくはあった可能性のある女性を取り上げます。

 

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正々堂々としていなかった鎌倉武士②〜那須与一の場合

屋島の合戦の名場面として、那須与一が扇の的をを射る有名な話があります。

 

話はこうです。戦いに敗れて海上に逃れた、平氏方の軍船の中から一艘出てきて、女房が扇を掲げました。

これは平氏方は一種の余興でしたが、そこには挑発の意味も込められています。

もしも源氏方にこれを見事にいることが出来なければ、面目丸潰れです。

 

 

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御家人以外の武士達〜本所一円地住人

鎌倉時代はすべての武士が御家人だったかというと、勿論そうではありません。

 

有名な「御恩」と「奉公」は、将軍(鎌倉殿)と御家人の間の仕組みで、いざというときの軍事動員できる武士は、御家人だけでした。

 

さらに細かく言えば、御家人達とそれに従う家臣たちが鎌倉幕府の統制できる武士達でした。

 

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正々堂々としていなかった鎌倉武士

猪俣則綱(いのまたのりつな)という武士がいました。

 

一ノ谷の合戦でのこと。

 

 

 

平氏方の越中前司盛俊(えっちゅうのぜんじもりとし)と戦いとなりました。

 

一騎討ちになり、則綱は盛俊に片脇で挟まれて首をとられる寸前に追い詰められます。

 

 

 

 

 

そこで則綱は、

「敵の首を取るなら、お互い名乗りをあげれば大功となる。名乗りもしていない相手の首をとってどうする」と言った。

 

盛俊はなるほどと思い、

「私は越中前司盛俊だ。貴様は何者だ?名を聞こう」

 

則綱は、

「武蔵の国の住人、猪俣則綱という者だ。私の命を助けてくれ。そうすれば、貴方の一門が何十人もいると思うが、今回の恩賞に替えて、命だけは助けるだろう」

 

盛俊は怒って

「盛俊は不肖だけど、平家の一門だ。源氏に頼る気はない。源氏もそうだろう。何て悪しき申し出だ」と言って首を斬ろうとした。

 

慌てた則綱は

「それはまずい。降伏している人の首を斬っていいものか?!」

 

盛俊は「それなら助けよう」と許しました。

 

そこで二人は田のあぜ道で休息した。

 

そこに則綱の同族の人見四郎が向かってくるのが見えました。則綱は盛俊に、

「あれは私が親しくしている人見四郎だ。私がここにいるので声をかけに来たようだ」と告げ、内心「人見が来たら盛俊に組み付いてやろう、まさか加勢しないことはあるまい」と企みました。

 

盛俊も最初は2人を見ていましたが、しばらくすると人見ばかりみて、則綱からは目を離してしまいました。

 

則綱は約束を破り、油断している盛俊を深田に突き落とし、盛俊に乗りかかり、首を突き刺し、ついに首をとります。

 

 

 

江戸の武士道とは違い、これが鎌倉武士らしさだったのかもしれません。