こだわり歴史塾

私が調べた人物の歴史を中心に、歴史の事を書いていきます。

東国武士と西国武士

平家物語』では、富士川の戦いに臨んで、平家方の総大将・平維盛が、斉藤実盛に坂東武者の勇猛について、問いただした話が残っている。

 

 

 

実盛は東国武士の性格についてこう答えている。

「軍(いくさ)は又、親も討たれよ、子も討たれよ、死ぬれば乗り越え乗り越え戦ふ候」

 

訳すると、「戦になれば、親が討たれても子が討たれても、その屍を乗り越えて果敢に戦う」

 

 

 

そのあと、西国武士について、

「親討たれぬれば孝養し、忌明けて寄せ、子討たれぬればその思ひ嘆きに寄せ候はず、兵粮米尽きぬれば田作り、刈り収めて寄せ、夏は暑しといひ、冬は寒しと嫌ひ候」

 

訳は、「親が討たれたらその供養して、子が討たれたら悲しんで戦いを止めて、食料がなくなると農業に励み、夏は暑い、冬は寒いと言って戦を放棄する」

 

 

この話では、東国武士は勇猛で、気性が激しい。

 

一方、西国武士は叙情的で、戦士として頼りない。

 

 

 

そして西国武士は戦の時期も気にしていて、夏と冬は避けていたといいます。

 

わざわざ言っているということは、東国武士はその点もあまり気にしていなかったという点だ。ということは、いつでも戦争出来る状態である常備軍的な側面も持っていたのではないでしょうか?

 

斎藤実盛武蔵国の武士で、東国武士にシンパシーを感じていたので、こういった比較になってしまったのだが、それぞれの武士の性格や考え方がはっきり分かれていて面白い。