2020-07-01 都人の東国への偏見 『吾妻鏡』の"吾妻"とは古い言葉で、"東"のことを指す。 和歌で「吾妻」と使われれば、枕詞で「鳥が鳴く」と続きます。 では何故、鳥が鳴くなのでしょうか? 続きを読む
2020-06-29 画期的な鎌倉幕府 律令国家における武士達、その代表的な人たちは、朝廷に敵対する夷狄や反逆者たちを討伐し、その武名を京にたずさえて、社会的なステータスを上げていった。 平将門の乱を鎮圧した、平貞盛。 前九年・後三年の役を討伐した、源頼義・義家。 源義親の乱を討伐した、平正盛(平清盛の祖父)。 続きを読む
2020-06-28 父祖伝来の地〜鎌倉〜 治承4年(1180)10月、源頼朝は安房国から武蔵国に入り、千葉常胤の勧めで相模国鎌倉に本拠を据えた。 『吾妻鏡』によると、鎌倉が本拠に選ばれた理由は、要害の地であり、源氏にとって先祖ゆかりの場所だったからと書いている。 続きを読む
2020-06-26 義経・頼朝不和の背景 源義経が兄である、源頼朝に合流したのは、頼朝が富士川の合戦で平家に勝利した後でした。 2人は先祖の源義家・義光兄弟の故事を、自らの境遇に照らして、涙にむせんだといいます。 続きを読む
2020-06-26 冷徹なだけでない、頼朝エピソード 政治家としては、冷徹だった源頼朝ですが、人間として冷たい人間だったと判断することは出来ません。 あくまでも政治的に対立する相手や、自分の権力基盤を害いかねない人間に対しては、政治的に排除しますが、頼朝を脅かす人物で無い場合には、人間としての顔を出すこともありました。 続きを読む
2020-06-24 源頼朝挙兵前の伊豆 以仁王の乱に参戦した源頼政は、源頼朝が流人生活を送っていた伊豆の知行国主だった。 しかし乱で頼政が敗死することにより、伊豆は平時忠(平清盛の義弟)が代わりの知行国主となる。 そして受領には、時忠の子の平時兼、目代(受領の代官)には山木兼隆が任命された。 続きを読む