源頼朝と北条政子夫婦による一夫一婦制
日本で最初に一夫一婦制を行った夫婦は、源頼朝と北条政子だといわれることがあります。
頼朝に愛人は何人かいて、子供もいましたが、これらの人々が正式に認められる事はなく、家族名簿に載せられることもありませんでした。
京育ちの頼朝としては、愛人を持つ事は当たり前だったのですが、嫉妬深い政子が怖くて、とても愛人を公に出来る訳はなかったとも考えらます。
しかし、そういう彼らのキャラクターを別として考えた場合、一夫一婦制のメリットとは一体、なんだったのか?
まず一夫多妻制だと、嫡男以外に男子が生まれた場合、新たな争いの種になりかねません。
この時代の人々、武士達の共通感覚として土地問題が最大の問題でした(もしかしたら日本史の最大のテーマは土地問題かもしれませんが💦)。
最初から愛人やその子供を認知しなければ、その相続の段階で無駄な争いをしなくていいと思っていて、2人は一夫一婦制だったというのは、深読みし過ぎかもしれませんが、そういう効果はあったかと思われます。
2代将軍の頼家も、3代将軍の実朝も、特に周辺からの抵抗もこれといってなく、将軍就任を果たしています。
しかし、頼朝・政子の2人には、頼家・実朝しか男子がいなかった為、源氏将軍が3代で滅ぶ事になってしまいました。
一族の層の薄さが源氏の宿命でもありました。