こだわり歴史塾

私が調べた人物の歴史を中心に、歴史の事を書いていきます。

アンチ平家の誕生

治承・寿永の乱は、治承4年(1180)から元暦2年(1185)にかけて、全国各地で6年間にわたる大規模な内乱です。

 

源頼政の挙兵から平氏の滅亡までという、源氏と平氏の合戦、源平合戦ともいわれていますが、内実はむしろ全国的な地方武士の反乱でした。

 

 

この内乱の口火を切った、源頼政以仁王を担いで挙兵する際、このようなことを言っています。

 

「国には目代(もくだい)に随ひ、荘には預所(あずかりどころ)に仕て、公事雑事(くじぞうじ)に駆り立てられ、夜も昼も安き事なし」

 

そのような苦しい状況の中にある、地方の源氏たちは、われわれが立ち上がれば、必ず続いて立ち上がるだろうと言った、と『源平盛衰記』に記されています。

 

これは源氏に限ったことではなく、地方武士達の実感を、結果として代弁していると思います。

 

地方の中央に対する反乱。

 

治承三年の政変で、平清盛院政を停止し、王権を構成する天皇、摂政、全ての首をすげかえます。

そして院や院近臣が持っていた多くの知行国を没収、それを平氏一門や関係者に与えました。

 

これによって、各国に平氏家人の目代が進出していくことになります。

そこで地方の武士達との間に緊張を生みます。

 

さらに、それまで受領、そして中央政府に対する不満が燻っていました。

それを平氏の家人たちが地方に出向くことで、王朝国家が抱えてきた矛盾、それに対する地方武士たちの不満、それを平氏が負うこととなってしまったのです。