流人時代の頼朝
源頼朝という人間を形成する上で、「流人時代」が1番大きいように思えます。
父の源義朝が起こした平治の乱に参加します。しかし義朝は敗れ逃走中に殺害されました。兄弟は或いは殺され、或いは離れ離れになりました。
頼朝は、父の敵である平清盛に殺されるかと思いましたが、清盛の継母・池禅尼の命乞いで助けられて、伊豆の蛭ヶ小島に流されます。
地名の蛭ヶ小島ですが、小島とはいっても、川(狩野川)の中洲ぐらいのものだったようです。
源義朝の嫡男であり、京の朝廷で任官もしている頼朝にとっては、伊豆は想像を絶する、田舎だったと思います。
ただ生活にはそれほど不自由な身ではなかったようです。
例えば、フィクション性は高いですが軍記物『曾我物語』に、巻狩りにも参加していることが描かれています。
ただ頼朝のこの流人としての期間は、14歳で流されて、34歳で挙兵する20年間です!53歳で亡くなることを思えば、人生の半分に迫る長さです。
例え自由があり、「貴種」として注目されていましたが、あくまでも北条氏をはじめ武士たちの監視の中での生活でした。
この期間の頼朝に史料が少ないので、想像するしかありません。
そして「政治家」源頼朝にとって最も重要な期間であった事は間違いない筈です。
若い頃に抱えた、〈不安や孤独感〉が、人間の心理に対する洞察力や目的を達成する為の緻密さ、時期を待てる忍耐力を育んだのでしょう。
そして猜疑心や冷徹さも。
味方といえるのは、武蔵国から仕送りを続けてくれる乳母の比企尼と、その娘婿たち。安達盛長、川越重頼、伊藤祐清(頼朝挙兵後、平家方になり戦死した)。そして佐々木定綱とその弟たち、でした。
そして遠く離れた京からは、乳母の妹の子である三善康信が、10日に1度、京の情勢を送ってきていました。
そして流人時代に妻にした、北条政子の一族も、頼朝を支えていく事になります。