御家人は、もともと鎌倉殿(鎌倉幕府の将軍)の直属の家来です。
鎌倉武士団の中のエリートでした。
では、何人いたのか?
「吾妻鏡」には、文治元年(1185)、頼朝が上洛の時、鎌倉に集まった東国御家人は2096名だったと記されています。
そして90年後の、建治元年(1275)、京都六条八幡宮の社殿が修造された時に、御家人たちが負担した費用が残っていて「鎌倉123人、京都28人、その他諸国318人、計469人」となっています。
もちろん、これが全ての御家人というわけではないが、1カ国数名程度。
東国は100人以上超える国もあったが、それ以外の国は10数名ほどだったのではないでしょうか?