【有能な頼朝の側近】二階堂行政
大江広元や三善康信、中原親能らよりは、公家しては家格の高い家柄であったが、同じく京から鎌倉に下って、幕府の官僚として活躍した。
その季範の娘が頼朝の母だったこともあり、頼朝に仕える事になる。
頼朝の消息執筆や、頼朝の上洛時に雑事を処理していたと、頼朝のそば近くでの書記のように付き従っていた。
それだけではなく、公文所の寄人として、実際の幕府の政治に関わり、公文所が政所に改称されても、政所の文書発給に関わっている。
政所令(政所次官)を務め、のちに昇進し大江広元と共に別当(長官)を務める。
奥州合戦の軍奉行としても、高い能力を示している。
頼朝死後も、13人の合議制の1人になる。
行政がいつ亡くなったかは分からないが、政所における彼の地位はその子孫にも引き継がれ、その後は二階堂氏が政所執事(上級役人)の職務を世襲していくことになる。